豆腐のカラバコを”ていねい”に置く。

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生きているといろんなことがありすぎてどうしても目の前の作業が雑になってしまっていることってありませんか?

ぼくの場合、しょっちゅう雑になることが多く、「物を大切に扱えなかったり」「バターの蓋を開けっぱなしにしたり」「レモン炭酸水の蓋をちゃんと閉めなかったり」とひどい有様です。

そういったことはシゴトに余裕がなかったり、人間関係で余裕がもてなくなっていたりとしたことが関連して起こるものです。

ていねいなシゴトができてる時は、ココロに余白があるから集中力が生まれ、良いものを生み出すことができていると思います。

お金、人間関係、仕事など、行き詰まってしまうことはありますが、

まずは目の前のことから一つずつ、ていねいに取り組んでみると、違う視点で物事を捉えられたりして、生活の循環が良くなります。

なぜ豆腐のカラバコ?

晩御飯に湯豆腐を作った時の話です。

水に昆布とネギを浸し、ガスに火をかけ沸騰するの待ちます。

待っている間に豆腐を切ることにしたのですが、最初の豆腐の蓋のカバーを開けるところでしっかりと開けることができませんでした。

ちょっとした力の入れ方や、力の方向を間違えると変な開き方をして、豆腐がうまくでてこなくなってしまいます。

きれいに豆腐を湯に落とすのに、余計な手間が入るし作業工程が増えていきます。

労力が増える上に、『時間もとられる』という事態に。

目が覚めたぼくは、2箱目の豆腐の蓋は手を拭いてから、矢印の方向に力を入れ、ちゃんと開けることに成功しました。

ここで敬意を込めて、カラバコを1箱目の上にしっかりと重ねて、きれいに流し台の端に逆さにしてゆっくりと置きました。

逆さにしたのは水を切るためです。

ゴミ箱の“異臭を防ぐため”と“捨てる時の無駄な体力の浪費を防ぐため”です。

カラバコの扱い方一つでも、先を見据えると自分の為にも、人の為にもなります。

敬意とは?

敬意を払うのは豆腐の空き箱のさらにその先にある人に込めての敬意でもあります。

カラバコがなければ消費者に豆腐は届きません。

カラバコを製造する人、発案した人、そして、配送した人がいて、豆腐が活きます。

色んな人が携わることで美味しい豆腐が今日も私たちの体の栄養になり、生きられているのです。

だから敬意を払うことを忘れません。

当然、農家の方や生産者の方にもです。

ていねいさは生活を豊かにする。

豆腐のカラバコの置き方ひとつていねいにすることで、人への感謝を覚えることができ、ココロが豊かになる感覚を覚えます。

豊かになるのはココロに余白ができること。

余白ができれば余裕が生まれて、ていねいに生きることができる。

案の定、今日の夕食も美味しく嬉しい気持ちで迎えることができました。

こうやってブログも集中して書いて、編集に集中できてることが気持ちの余裕が生まれた証拠です。

目の前のことから、ていねいに生きてみる。

悪くないですよ。

何かに、行き詰まってたらまずは目の前のことから“ていねいに”

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